てぃーだブログ › オキナワ アイデンティティ ー民宿島人ぬ宝、工事中 › おじーのアートな思考あれこれ

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2009年10月17日

感動したいなら・・・



おじーの経験では・・・

人と同じ事をしても感動は無い

感動したいなら・・・人と違う発想と時間を使うこと・・・

けして自己満足の世界でなく・・・

創造した作品が作者を離れて・・・

勝手に動き出し・・・広く〃共鳴する人々のココロにに語りかける・・・

そんなイメージをしながら創作する過程が大切です・・・

俗世間の闇の向こうに・・・感動のステージがまってます、


俗世間に配慮することは・・・

施主やクライアントに感動のステージに行くプロセスを伝え・・・

時間と資金の提供を確実にする努力を忘れないこと、

ささやかな・・・小さいことでも成功事例を重ねること・・・


莫大な資金を使っても
自己満足のマスターベーションの作品は、動き出すことはありません。




  


2009年08月13日

綺麗な影

ブログねた探しに出かけなくても・・・
身の回りのあちらこちらに・・・
自然の綺麗なものがたくさんあります・・・


綺麗な影「シロアリの呪で・・・ちょっとピンボケだけど」


影の正体は・・・








コレです・・・





建築仮枠用の鎖です・・・

しかし・・こんなのが・・・
あんな綺麗な影になるなんて・・・不思議・・・
  


2009年05月24日

美しく無くなってしまったと思った。



アプローチのビー玉が誰かに「たぶんザキミオートの安里さんだ」踏まれめり込んだ。

だけど何時も変わり者のひげじーがお色々世話になってるので、安里さんありがとう。

転がる瞬間を今日か明日かと楽しみにしていたのにー

あんたのおかげで、ビー玉は踏まれて土の中にめり込んでしまった。

又美しいぎりぎりの状態には、雨が降って土砂を流さないと拝めない。

昨日のビー玉の写真、今にも転がりそうなぐらい土との接点がぎりぎりでした。

美しさは物の際「自然のもののエッジや稜線のスカイライン等」に有る。

物同士の接点には~電気が走る~つまりエネルギーが出ているのです。

良く観ると、ビー玉は土の中にめり込んだが、

隣にヤファタ?の芽が出てきた、昨日は気づかなかったが。

何事も足元に新しい発見と感動が有るもんですね、

ホントにササヤカナコトですが、

気づくか気づかないかが大きな違いですね。

  


2009年05月09日

アダンに囲まれた安住の地

連休でココロが疲れてます。

近くの観光客相手の施設では、朝から晩まで一日中トーシンドーイがなりやまず。

そば屋ではやったアクセントがしり上がりの、「めんそーれー」~。

そのアクセントおかしいし~、朝から晩までトーシンドーイはだめでしょうて~、

声に出して言わないと~アイデンティティがポロポロ壊れていきそうだよー

何処え行った沖縄の原風景。

おじーの好きなアダンの原風景の写真がちょっとだけ癒してくれるかも?。



アダンの樹は今では厄介者でズタズタに切られまくり。



かつて集落は、アダンの森に囲まれていた。

アダンの森の中は台風の時も安らげる地。

台風の風や塩害、害の有る動物から人々と農作物を守っていた、

そしてアダンの葉っはワラジや敷物等の日用雑器に利用された。

お疲れモードのひげおじーは~

現代社会でアダンの森に代わるヨロイは何だろうと考えたりします。  


2009年05月04日

 ホアキンのゆらぎ



ひげおじーの好きなアーチスト、

ホアキンの創った、陶器、このゆらぎが大好き。

ひげおじーが創った、今は無き、喫茶店「樹人館」で

ホアキンとセッション、中でも「三角のキーワード」で

創ったコーヒーカップは絶品でした。

下の写真は左からホアキンのデッサンとコーヒーカップに鉢で

下がひげおじーの創った箱階段です。

今は我が家で民宿に生かされる日を待ってます。



  


2009年04月25日

心地よいゆらぎ

戦前の赤瓦、20年以上前に壷屋や南風原で解体する家から集めて来ました。

中には100年前の蒔き窯で焼いた壷屋の瓦も別の所に大事に置いて有ります。



沖縄の赤瓦は年々既製品化して、形がチャントしてきた。

沖縄の瓦産業界の進歩として喜ぶべき事が当たり前でしょうが、

ひげおじーは狂いの無い赤瓦はつまらないです「ゆらぎがないよー」

今度100年前の瓦から戦前の瓦、戦後の瓦、復帰前後の瓦、現在の瓦の、

比較をしましょう、面白いですよ。

職人として仕事するときは、狂いの無い材料が良い。

何故なら~仕事が速くなるから、当然利益が出る。

ゆらぎ、の創るほっとする空気に対して、

利益や効率主義の隙や無駄の無い、

きちっとした仕事が作る冷たい空気

当然9割以上の人がきちっとした方の、

内部でもガラスと打ちっ放しのグレーの家が好きでしょう。

内部までそんなんじゃーココロ冷えちゃうよーナンテ思う、

日々ゆるぎ過ぎるひげおじーです。
  


2009年03月28日

まるでガウディー



まるでガウディーの煙突の様な形のつぼみは、ひげじーの好きな、方言名でミーフックァー、等、

和名、オキナワキョウチクトウです。

アートの造形物は自然を超えられない、が、ひげじーの自論です。

あくまでもひげじー思考ですが。

何故なら、人間の生み出すものは、自然の刺激を五感で受けて、

情報として脳の引き出しに蓄積して溜め込まれいく。

その一本一本の情報に縒りを掛けながら、一本の太い糸にしていく。

そして出てきたものが創造的な作品でしょう。

つまりどんなにテクニックが有る作家でも、コピーはアートには成らない。

自分の中で消化、吸収した情報を新しく編みこむ作業が無いと

ただのパクリ野郎になります。

若きクリエイターに告ぐ

若者よ技に溺れるな、感性を磨く事を怠るな


上のつぼみの写真が~下の花に変化します。

なんでかねぇー

全てのつぼみが花を咲かせなくてもいいよ。

中にはつぼみのまま、一生を過ごす奴が居ても良いじゃないか。

だって「つぼみ」のままが美しい場合もあるxxxxxxxxxxxxxxxさぁー



  


2009年03月16日

理想的なかたち

 


 おじーの理想とするかたちあれこれ。

 おじーの理想とする建物の外観は。

綺麗な景色の中に建物を造る、造った後、景色がさらに美しく成れば、

その建物は美しい。

残念ながら殆どの場合、建築物が出来たことで、景観が悪くなる。

美しい建物の中身は、住んで居ることで幸せになれる、

何処か外に出かけて、息抜きすることさえ、必要としない生活が出来る。

 おじーのアマノジャクでナルシストな美意識

もの造りで、人間性の良さで作品が売れるように成ると、その作家の才能の開花は止まる。

深く探求したければ性格は良くないほうがいい、言い方を変えれば、性格が悪くなる。

自分の事が好きな人に作品を褒められるより、

「あの人は人間性は最低だけど、創るものは抜群にいい」

そんな言葉を嫌いな人に言わせたら最高に満足。

その路線を追求すれば、いつか、作品が作者を越えて一人歩きする。

作者は世の中から忘れ去られても、作品だけは永遠に、エネルギーを放出しながら生き続ける。

おじーは、そんな理想を夢見たりする。
  


2009年03月10日

おじーが属さない意味



 世の中、「物事全てにおいてジャンル別け」

無名の意味を前回書いたが、

今回はおじーが何処にも、何にも、「属さない意味」。

当然属する方が楽で仕事もやりやすい。

ものづくりでも、「職人、作家、芸術家、」

政党でも、OO党、OO党、所属したく無くても無所属の属。

音楽で自己表現する場合、市場が演歌かロックか決めることで、

自分でジャンルを決めてタガをハメ、

ワザワザ自分の自己表現の幅を狭める必要はない。

職人のグループに属すると、職人と言われ、

アーティストのグループに属すると、あいつはアーティストって名乗っているらしいと、

要らない冠まで頂く事になる。

おじーの言いたい事は、

行きたいところに行き、創りたいものを創る為に、

属さない方がより自由だと言う事です。

おじーは無名で属さない為、他人の目や評価を気にせず、自由気ままなのです。

自由とは侘しく寂しいもの=自由気ままです。

お金が欲しい人、名誉が欲しい人は、

おじーと反対の事をすればいいカモネ!  


2009年03月08日

触覚のアート

 

 「触覚で感じるアート」

五感で感じるアートの最後の触覚はおじーが創った現場の床板の話。

触覚と言えば手だろーと思いがちだが。

おじーは足に目を付けている。

 今月、雨の日は読谷で床材料加工中です、写真下が「島人ぬ宝」民宿用「3、5cm」、

上は去年新築祝いをした、今帰仁移住組、現場の床材料「5cm」、

一見大して変わらない様に見えるだろうが、物チカラが全く違うのである。

 去年、今帰仁の新築祝いでの話。

祝いの準備の為、床を掃除して雑巾がけしていた人が、「あー幸せ、なんて気持ちいいでしょう!」

笑顔に成った人を観て、おじーはシテヤッタの至福の気分になった。

ささやかながら、おじーの創った床板が、その人にとって、アートに成った瞬間でした。

素足「沖縄ではカラビサ」でこの床を歩くと、「杉赤身板の体温が人間に近い」優しい感覚を感じる。

足の裏の触覚が床板が厚い「5cm」事で安定、安心感を感じる。

湿度も厚い材料が余裕で快適に調整してくれる。

人間の足の裏は、日常生活で手のひらと同じぐらいの情報を感じ、

脳に危険か安全か、熱いか冷たいか、硬いか柔らかいか、

心地良いかそうでないか判断している。

最高の褒め言葉を、聞いたおじーは、叫んだ、

「おじーはその言葉を聴きたいが為に創っているのだ。」

五感の退化した他人に自画自賛、ナルシストと呼ばれてもかまわない。

ささやかな至福ではあるが、ココまで来るには、長い道のりがあった。

先ず設計図面作業をする前の建物のイメージだけで、材料注文「材厚が有るので3年間の乾燥が必要」。

1つ前の現場材料と同時に材木卸商に産地指定で「50年以上の赤身杉、芯材5cm×150cmで製材」を依頼。

6m材料に合わせて、50万円をかけて材料乾燥、加工場を増設「現場の材料の長さ、数量、に合わせて木工所を改装している」。

図面作業をしながら材料を立てたり、ひっくり返したり、さんぎ積みしたりする。

床材料にして現場に搬入するまでには「3年」

5cmの床板がささやかなアートに成るまで、

その時点でマラソンで言えば40キロ地点を過ぎてゴール目前。

残りの2,195km、肉体的には長いが、淡々と完成したイメージのゴールに向かう作業。

そして1年後の新築祝い、あらためて、去年のさやかな感動に感謝。

  


  


2009年03月07日

聴覚で感じるゆらぎ

 

「聴覚で感じるゆらぎ」

おじーの仕事の中で「ゆらぎ」は、もの創りの大事なポイント。

全体のデザインから小さな材料のエッジの角まで、

統一されたゆらぎの波形を目指している。

7年前、助手「デリカシーが無いと言った」が持つていた100枚位のCDの中で

感動する一枚のCDに出合った。、、、「出会わせてくれてありがとう」

パブロ カザルスだ。

念のため、おじーはオンチでありますから、音楽はサツパリ解りません。

カザルスのチェロの演奏を農業で例えると

「おじーの例えは余計、解らなくシテシマウラシイ」。

火山灰のやわらかい土のジャガイモを茎ごと抜き取ると、

芋と一緒に綺麗に根が出てきて、

根の先の毛細根まで切れずに、完全な姿で掘り取った様なありえない感動がある。

音の終りと始まりがゆらぎの波形の延長線で繋がり、

隅々の隅まで、ゆらぎの波長が劣化せず満たしている。

その後 グレン グールド 、 川島 成道 、と出合った

おじーのココロを酔わせる完璧な三者三様のゆらぎ。

三者共 バッハの作品で特に感動する。

誰か音楽に詳しい人がいれば、オンチのおじーに教えて欲しい、

何故バッハか?ゆらぎで三人の共通のものがあるのか。


おじーは夢でもいいからあの高い境地で、完璧なゆらぎものを創りたいと思った。



  


2009年03月06日

味覚のアート


  
 おじーの人生で、味覚のアートと言えば

「粟国の塩」

感動~。

山盛りの粟国の塩。

沢山居た助手の中で、自分探しの旅の途中のMT君、おじーの助手で力を発揮出来ず辞めた。

次にたどり着いた所が粟国の島の塩工場だ。

結局そこも辞めて沖縄に帰ってきたが。

MT君はその後自分探しの旅を終え、自分の才能を素直に反映出来る仕事に就き、頑張っている。

彼が持ち帰った、島のお土産がこの山盛りの塩だ。

最初は歯磨き粉代わりに使った、これが抜群。

歯茎の紫色が消え、口臭も良く改善した。

何より料理に使うと角がなく甘い、使い過ぎてもきつくない。

WBCで表現すればストライクゾーンがとても大きい感じだ。

おじーは全く同じ味覚を体験したことがある。

海岸の波打ち際でカラカラに乾いたアオサ「海草」を食べた食感だ。

アートは自然の力には勝てないがおじーの定説だが、「おじーは自然の造形物はアートとは言わない」

粟国の塩は自然が造りり上げた造形物と全く同じ、

味覚が感動するアートです。


追記 
粟国の塩は、世界に通用する沖縄のアート「 空手 、織り、 サンシン、」 同様、WBC仕様か

こんな小さな島に世界トップ標準が沢山ある、幸せな島である。
  


2009年03月05日

嗅覚で感じたアート



 嗅覚でアート?


沖縄特産のシークァーサーの花が

読谷の木工所の庭で咲きました。

甘酸っぱい香りが、皆さんに届けば良いが。

 今回は香りです。

アートまでは行かないが、こんな話で許してもらいましょう。

先日書いた、「哲学者」阿波根ショウコウさんの映画 。

「教えられなかった戦争、沖縄編」この映画は98年キネマ旬報映画部門1位に輝いた映画。

この映画を撮影した映画監督で、私の大好きな先輩の、「高岩 仁」さんの話しです。

私は映画撮影~編集のため、眺めの良い家を借りるお手伝いをした事で、

その家に一泊させていただきました。

翌朝の朝食は朝日と共に食すると言う事でした。

夢か現実かのあいだでパンの焼ける香りと、コーヒーのドリップから立ち上がる香り~~~~~^

徐々に徐々に深く強く、いい香りが部屋をみたしていきました。

なんて幸せな目覚めの瞬間でしょう。

朝日を拝みながら一時間以上おしゃべりをしながら、豊かな朝食を楽しみました。

高岩仁さんは美食家でピータンやブルーチーズ等の薫り高いものが好きでした。

この日の体験は、今でも忘れられない香りとして、私のカラダに残っています。


追記 

今は亡き、正義と美しさを追及した高岩仁監督、その美意識と粘り強さを見習い、

私も自分の信じる、一筋の道を歩いて生きたいと思います。  


2009年03月04日

視覚で感じるアート?

 



 あくまでもおじーの思考です よろしく。

おじーの好きな画家はピカソ。

好きでない画家はゴッホです。

ピカソは写実からキュービズムまで

革新的な破壊と創造で女性のジェラシーからバスク爆撃のゲルニカまで、

俗悪な環境を圧倒的に突き抜ける表現のエネルギー、まさにアート。

ピカソは天才です。

生涯~没後にも、高い評価に名誉と財産に恵まれたピカソ。

 生きている間一枚の絵も売れず何の評価もなかった貧困のゴッホ。

没後に高い評価「バイヤーの餌食」を受ける。

正反対の人生だった二人、

今は同じ億を越える値段の付く二人。

おじーはゴッホの絵葉書を見ただけでも、ユウツに成る。

ゴッホの絵にはココロ不快にさせるものすごいエネルギーがある。

マイナスの理由は絵の背景にある、

マイナスでもこのエネルギーこそアートだ。

人々はゴッホの絵を見て何を感じるんだろう、

絶対的な貧困と挫折に癒しが有るのだろうか。

値札を見て感動しているのだろうか。

値札はバイヤーのアートなんですけど!

アートをうみ出す人の共通点は表現の前に、

深く深く自分と向き合う過程の精神性に全てがある。


追記 今回は書けないが視覚のアートだとチャップリンの悲しくも笑える無声映像もアートである、

視覚のアートは他にもまだまだありそうですが、とりあえず終了。

次は難しい嗅覚のアートだ「正直パスしたい。笑い」  


2009年03月02日

おじーのアート考〜?

3月2日3時、沖縄恩納村の天候
曇り、21度、東の風がやや強い。

今日のおじーの独り言
「アート?って何?」

あくまでもおじーの思考ですがアートって。

人間の五感がその対象によって共鳴する事だと考えます。

五感は、視覚、嗅覚、味覚、聴覚、触覚でしょうか?。

ココロが共鳴するか、しないか。

人によってアートか否かに判れる、

人によっては大作家の作品より幼稚園児の作品がアートな場合もあり得ます。

次回から五回のシリーズで、おじーの五感的アート考を書きます。

  


2009年02月27日

無名である意味

おじーの25年間

もの創りのスタイルは自由に創作するやり方。

だから自由の代償に無名であり続ける事。

自由とは侘しく寂しいもの。

おじーをGoogle検索シテも情報無し。

誰も近寄らないし業者も職人も私にコビナイ。

営業活動はシナイ、仕事は全てお客様の紹介。

だから名刺は無い。

肩書きも無し。

ジャンルも無い。

資金力もない。

頼りは自分の才能を信じるだけ。

お客様を感動させ無ければ明日は無し。

それでも自由が欲しい。